2012-11-13 第181回国会 衆議院 予算委員会 第2号
農の営みという最も本源的な機能を担ってきた人々が持っているすぐれた人間性とその魅力的な生き方が、我が国の社会的安定性と文化的水準の維持に果たしてきた役割が忘れられてきたのではないかと思っていると、この学者は述べておられます。 総理、この学者の考え方を共有がおできになりますか。どうですか。
農の営みという最も本源的な機能を担ってきた人々が持っているすぐれた人間性とその魅力的な生き方が、我が国の社会的安定性と文化的水準の維持に果たしてきた役割が忘れられてきたのではないかと思っていると、この学者は述べておられます。 総理、この学者の考え方を共有がおできになりますか。どうですか。
これは、文化的水準の向上もさることながら、生活排水が海にそのまま流れているということは生産性の低下に大きくつながっております。
このまちづくりというのは、法律も役に立った場合もあるかもしれませんが、私は、その地域に住む人々の文化的水準によって醸し出されてきた歴史の歩みであろうと思うわけです。
この第一項のもとになる規定は、日本国憲法制定に当たりまして民間の憲法草案の一つといたしまして高野岩三郎らの憲法研究会がありまして、その憲法研究会の憲法草案要綱の中で、「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」という規定があったわけでありますけれども、この規定をもとにして衆議院で修正されたということであります。
犯罪者をどのように処遇しているかは、その国の社会的、文化的水準を示しているとよく言われております。明治時代に我が国が世界に先駆けて監獄法を制定し、外国の専門家を招聘して獄制の改善整備と監獄職員の研修に努めたのは、そのための努力であったと考えております。
我が国も、教育内容の知的文化的水準を高め、複合的で総合的な知的能力を発達させる改革から立ちおくれてはなりません。そのために、二十一世紀にふさわしい教室の環境と学びの質の転換を図る四十人学級から三十人学級への改革こそが不可欠であります。
我が国も、教育内容の知的文化的水準を高め、複合的で総合的な知的能力を発達させる改革から立ちおくれてはなりません。そのために、二十一世紀にふさわしい教室の環境と学びの質の転換を図る四十人学級から三十人学級への改革こそが不可欠なのであります。
そういう点で、障害者の福祉はすべての福祉の質的な側面を規定すると言っても過言ではないと思いますし、障害者がどれだけ社会に参加しているかは、その社会の文化的水準のバロメーターとも言われております。
○中村鋭一君 郵政大臣、川口会長は豊かという言葉についてこのような考え方を持っているということを今お述べいただいたわけでございますが、とすれば、NHKに対してだけ豊かで文化的水準の高い放送を期待するんじゃなくて、当然ながらこの規定はいわゆる民間放送にも当てはまる概念ではないでしょうか。
労働省の関係で申し上げますと、同対審の答申の中で、いわゆる同和問題の根本的な解決は、同和地区の産業、職業問題を解決をして地区住民の経済的、文化的水準の向上を保障する経済的基礎を確立することが必要である、こういうふうに明確になっているわけですね。
○井上国務大臣 私は、「国際的地位」ということは、教育水準また文化的水準すべてを含めて、今おっしゃったように、「国際的地位にふさわしい」という感じを抱いております。
また申し上げますが、同対審の中で、地区住民の経済的、文化的水準の向上を保障する経済的基盤を確立することが必要であると述べており、その緊急な解決は国の責務である、このようにうたっておるわけであります。 島崎藤村が「破戒」を世に送ったのが大体一世紀前のことでございます。その物語はしかし過去の物語ではなく、今もその物語が現に現世に生きているということを、私は政治家の一人としてなお恥ずかしく思います。
先ほど大臣の御所見をお伺いしましたノーベル賞の数だけがその国の文化的水準を評価するメルクマールではないと思いますけれども、このようなノーベル賞に値するような学者を輩出させるような教育文化の土壌の育成というものが大切であろうということでございます。世界の科学技術や文化の向上、発展に貢献できる可能性を育てるということが大切だろうと思います。
どこの大使館かは申し上げるに忍びないけれども、本当に日本国の文化的水準が最低レベルであるということを表示するために飾ってあるとしか思えないようなものまである。いかがでございますか。
それから文化、学術施設でございますが、御指摘いただきましたように第三次全国総合開発計画、これは五十二年に策定されておりますが、この中では高度の教育、文化施設の地域的な適正配置を図ることによりまして各地域の文化的水準あるいは広い社会的な意味の水準を引き上げ、地方での定住の基盤を形成するということをうたっております。
そのことから、要するに我が国のこの狭い国土、大変大きな人口、しかしそうはいっても大変活発な活力といいましょうか経済的な力、さらには文化的水準、そういうものにふさわしい我が国の福祉全般をにらみ据えたビジョンというものをやっぱり立てていくべきじゃないかと。こういうふうなことについて大臣としてはひとつ先頭に立って頑張っていきたいと、こういうことを表明していただきたいというのが私の気持ちでございます。
その目的は、生存のための基本的必要品をも満たしていない人々はもちろん、文化的水準以下の生活を余儀なくされている発展途上国の国民が経済的、社会的、政治的に自立し、公正にして自由な国民として繁栄することにより、援助を必要としないごとき状態にまで発展する努力を助けることであります。
男性がビールを飲んで会社のぐちをいっている間に、女性はせっせと学び、観劇をし、という状態が続けば、文化的水準の格差は開くばかり だろう。この地殻変動を「知らぬは男ばかりなり」であるのかもしれぬ。主婦の自由時間がふえたのは、育児の期間が短くなったことや家事の合理化が進んだためだろう。そして心の3C(カルチャー、クリエーション、コミュニケーション)を求める動きが強まってきた。
コンピューター会社がそういうソフトを売り出したとしても、仮にですよ、国民が全部それを利用して脱税するような文化的水準の低い国民じゃないということを私は信じており、かつ願いたいのです。 そして、確かに脱税その他もございます。しかし、それは調査をなさった者についての割合なんです。
やっぱり視聴者のいわば文化的水準と申しましょうか、嗜好的な水準と申しましょうか、そういうものの中のやや平均よりも上のところをねらって、そして放送事業に取り組むというのがこの電波を預かる者の私は態度だと思うのであります。